悟りとカウンセリング

悟りから見た、「起こる事はただ起こっている」というのは真実か。それは全くの真実でしょう。ただ、私がこれまで行ったカウンセリングの中で、それを言ったことはおそらく一度もないでしょう。全く正しいのですが、それは器を溶かす酸のようなもので、言うべき時を慎重に見極めねばなりません。

例えば、事故にあって怪我をしたばかりの人にそれを言えるでしょうか。
「あなたの事故はただ起こっているだけなんですよ」いや、言えない。その時にそれをいってしまうのは言葉の暴力でしょう。怪我をした人に必要なのはまず治療と気力を回復させることでしょう。良心に訊いてみて、判断するほかありません。餓えた人に必要なのはまず第一に食料でしょう。いじめられている人に必要なのは、まず、何より先に有形無形の暴力から遠ざけ、尊厳を取り戻す事です。

「私はいない」とか「起こる事はただ起こっている」のは真実であり、おそらく究極の答えなのですが、答えを教えるのがカウンセラーの仕事ではありません。算数ドリルを一生懸命解いている子どもに横から答えを教えるのは、とても破壊的な行為なのです。いずれにせよいつかは教えるまでもなく、改めて言うまでもなく、クライアントは答えにたどり着くからです。そのプロセスを援助するのが、カウンセラーです。本来的にはカウンセラーは全く必要でないのです。

この文章を書いている由宇真一自身は全く悟りの経験はありません。それについて言える事は全くありません。しかし良心に訊いてみて、それを言わねばならない事もあるかもしれない。それを言うことなしにクライアントさまの気づきの瞬間を見せてもらえるかも知れない。それがカウンセラーの役得です。そうしたことはとてもクリエイティブで、予め準備する事はできません。しかし、人知の及ばないところで目覚めの一撃を解き放つこともあるのかも知れません。

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