謎の神 櫛眞知命を考察する(2)

(2)天香具山への道

武蔵国から大和国の天香久山に至るまでどのようなルートを辿ったか。一旦状況を整理すると、時代は神話上の天岩戸隠れに間に合わないといけない為、おそらく1世紀から2世紀ぐらい(諸説あります)。場所当時の多摩川の下流地域、現在の調布市や三鷹市のあたりの太守です。おそらく多摩川上流は瀬織津姫、下流・港湾部が大麻等乃知神(櫛眞知命)という支配区分だったのだと思います。そうした地域から出発します。当時でも小さな船は使えたでしょうから行ける所は船で行きますが。いずれにせよ中央の山脈越えはきついので、今も昔も箱根の山を超えて東海道に似たルートを辿ったかと思われます。

Google Mapからのスクリーンショット

これだけなら単なる当て推量ですが、証拠とできる事実もあります。それは静岡県三島市にあります赤王神社(あかおうじんじゃ)です。興味深いことに岡向こうに赤王神社がもう一つあります(こちらはしゃこうじんじゃと読むそうです)。二つあるのは調べる限りでは近代に大水が出て社地の変遷があったからのようです。

赤王神社(あかおうじんじゃ)静岡県三島市大場824
赤王神社(しゃこうじんじゃ)静岡県三島市北沢139

この神社の祭神が興味深いことに櫛眞知命なのですが、この地は大和国でも武蔵国でもない、どちらの支配地域から離れた場所にあるので、ここに名前が残るのはとても謎です。御岳信仰由来の摂社でもない様です。そこで提唱したいのが、東海道ルート西進の途中で立ち寄ったのではないか、というものです。

三島市の赤王神社と丘陵部

この丘陵自体も興味深く尾根筋には5世紀ごろの古墳群があり東側には横穴式石室の墳墓があります。この尾根筋は遠くには富士山も見え、当時は今より海も近かったでしょうからなおさら眺めが良かったでしょう。古来からの聖地という扱いだったのでしょう。推測するに櫛眞知はこの地で請われて太占なり、儀式なりを行ったのではないでしょうか。行く先々で自分の力を役に立てたのだと思います。

こうして東海道遠州ルートを辿るとこれも興味深いことに事任八幡宮も通過する事になりますが、これについては次回以降の改めて考察します。あとは名古屋を抜けて津市あたりから大和国に向かったのだと思いますが、一番普通のルートを選択したと思います。

こうして大和国入りした櫛眞知命ですが、次回は天岩戸隠れ神話について櫛眞知命から見た状況を考察します。

神社・仏閣 コラム

謎の神 櫛眞知命を考察する

太占を司る神として知られる櫛真智命のことについて、何回かに分けて考察しようと思います。証拠の少ない中で仮定に仮定を重ねた論考になるので、話が戻ったり繰り返したりしますが、根拠の少ない読み物としてご容赦くださいませ。

(1)どこから来たの?

櫛真智命(くしまちのみこと)は神話時代の神様で、古事記、日本書紀に名前は出てきませんが、エピソードは載っています。天岩戸隠れの折、当時としても重要視された天香久山(あめのかぐやま)で(おそらくは)祝詞か神託を下ろし、俊英で知られた天児屋命(あめのこやねのみこと)に授けた。天児屋命はそれを以て天岩戸隠れの事態を上手く収めることができ、それによって大きく出世する事になった。この逸話は現在でも受け継がれ、今でも皇室の重要祭祀「大嘗祭」において、「亀卜(亀の甲羅を用いた占い)」を行う際天香久山の「波波迦木(ははかのき)」を用います。この様にこの逸話はとても重要視され、天児屋命は天照系の中でもメジャーな神様として知られていますが、それに比較して櫛眞智命は名前も載っていないくらいの扱いで、非常に不自然な印象です。

文献的な記述は「延喜式 神名帳」に、社名と神の名が伝わっていますが、これがほとんど唯一の記録です。

天香山坐櫛真命神社(割注 元名大麻等乃知神) (延喜式神名帳、大和国十市郡)

これだけの記述しかないので、これで考えて見ましょう。一番困惑させられるのは、天香久山のある大和国と、東国の武藏国にある「大麻止乃豆乃天神社」という離れた位置にある神が同一であるとしていることです。率直に考えて、どちらから移動したと考える他ないのですが、どっちが元でしょうか。

色々な論文や意見を総合すると、元は天香久山であるとする考えが多い様です。当時としても人の流れは西から東が基本なので、そうした論考が多いのでしょう。しかしこれには難点があって、「元名 大麻等乃知神(おおまとのつのかみ)」という、他ならぬ延喜式神名帳の記述を無視することになってしまいます。

もう一点、名前の性質を考慮して見ましょう。大麻等乃知神は、現在の稲城市の「大麻止乃豆乃天神社」の古地名「おおまと」を表していると考えられます(おおまとは大きな湾や入江を指しています)。近畿から来た神が他所の土地の名を名乗るのは考えにくいと思います。

さらに櫛真智のお名前を考えると、これは神様本人の性質を表している名前です。これは私見ですが、櫛真智命のお名前は、人生の後期、占いの神として評価が定まってからか、おそらくは後世の人によって定められたのではないでしょうか。神様本体の性質を良く表しているからです。

このような考えから、当稿の一連の考察では、櫛真智命の出発点は武藏国であり、そこから大和国に向かったのだ!として、以後のお話を続けたいと思います。

(続きます・・・次回は大和国へのルートについて考えます)
https://yu-makoto.com/archives/2336

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謎の神 櫛眞智命

馬橋稲荷は不思議な神社で、その名前からお稲荷さんと思って参拝すると非常にびっくりさせられます。透明だけど輝く、とても整ったエネルギー。たとえて言うと、輝く水晶の中にいるような…その限りない明るさに触れることはとても心地よい参拝経験でした。初めて行ったときは御祭神のことは何も知らず、二度目にいった時も何も調べていかなかった!(すみません)。その時もよい参拝だったのですが、流石に無知を恥じていろいろ調べてみると、当社本殿御祭神「御岳社」の「大麻等能豆神」が、延喜式神名帳によると「櫛真智命」の元名と知って、非常に驚かされたのでした。

このお名前なら伺ったことがあります!櫛眞智命(くしまちのみこと)は、太占(鹿の骨を焼きそのひび割れで吉兆を占う)を司る神様で、大和国の天香久山(あめのかぐやま)神社という非常に重要な神社の御祭神である神様です。お名前の意味は「大いなる、真実を知る神」という意味合いでしょう。しかしその他のことは、ほぼ何も言い伝えがありません。記紀(古事記・日本書紀)には出てこず、神々の系図にもその名は載っていません。ただ、延喜式神名帳に天香久山神社の御祭神として記述されているだけです。名前の付け方から、出雲系なのではないかと推測できる程度ですが、おそらく伊勢でも出雲でもないのでしょう。男か女かでいうと、「ひめ」とついてないので多分男なのでしょうが…。およそ逸話や伝説、プロフィールの伝わらない、謎というほかないミステリアスな占いの神様です。

延喜式神名帳には「武蔵国多摩郡」にも「大麻止乃豆乃天神社」があるとされ、それがどの神社を指すのかは確定していませんが、いくつか候補(論社)があります。

・武蔵御岳神社(青梅市)
・大國魂神社(府中市)
・大麻止乃豆乃天神社(稲城市)

いずれも多摩川沿いの神社です。武蔵御岳神社では新年に太占の神事があり、その太占の系譜を今に伝えるのですが、武蔵御岳神社は狼の神様。大口眞神の影響が強いところで、櫛真智神のことはあまりわかりません(新年の太占の神事及びその場所は一般に公開されていません)。大國魂神社は武蔵国総社の位置づけであり、稲城市の大麻止乃豆乃天神社もいまいち確証に欠けました。結局この三社にお参りしても櫛眞智命のことははあまり良くわかりませんでした。

主観的な感覚の他は何も証明できないのですが、その謎の神様と、論社ではない馬橋稲荷神社の謎のエネルギーとが結びついて、自分としては腑に落ちた思いがしたのでした。あえてこの神様の雰囲気を身近に例えると、フィリップ・K・ディック原作のSF映画「マイノリティ・リポート」に出てくる、未来を予知する存在『プリコグ』に非常によく似ていると思いました(全然身近じゃない?)この映画は少し古く、とてもよくできた映画なので見た方も多いと思いますが、とってもおすすめの映画です。未来を見ようとする営為は常にどこか…。

ひょっとしたらこの神様は身体としては存在しなかったのかもしれません。太占の占者に降りる天使的存在だったのかも。時空を見通せるほど透明な存在は個性を持たず、プロフィールも透明に近づいていくのかもしれない。それは悲劇的な献身にも見える。しかし今もその神様は存在し、こうして邂逅があったことに、深い感謝を覚えるのでした。

2024年追記
その後調べていくうちに考えが纏りましたので、新たな考察を開始しました
謎の神 櫛眞知命を考察する
謎の神 櫛眞知命を考察する(2)

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