太占を司る神として知られる櫛真智命のことについて、何回かに分けて考察しようと思います。証拠の少ない中で仮定に仮定を重ねた論考になるので、話が戻ったり繰り返したりしますが、根拠の少ない読み物としてご容赦くださいませ。
(1)どこから来たの?
櫛真智命(くしまちのみこと)は神話時代の神様で、古事記、日本書紀に名前は出てきませんが、エピソードは載っています。天岩戸隠れの折、当時としても重要視された天香久山(あめのかぐやま)で(おそらくは)祝詞か神託を下ろし、俊英で知られた天児屋命(あめのこやねのみこと)に授けた。天児屋命はそれを以て天岩戸隠れの事態を上手く収めることができ、それによって大きく出世する事になった。この逸話は現在でも受け継がれ、今でも皇室の重要祭祀「大嘗祭」において、「亀卜(亀の甲羅を用いた占い)」を行う際天香久山の「波波迦木(ははかのき)」を用います。この様にこの逸話はとても重要視され、天児屋命は天照系の中でもメジャーな神様として知られていますが、それに比較して櫛眞智命は名前も載っていないくらいの扱いで、非常に不自然な印象です。
文献的な記述は「延喜式 神名帳」に、社名と神の名が伝わっていますが、これがほとんど唯一の記録です。
天香山坐櫛真命神社(割注 元名大麻等乃知神) (延喜式神名帳、大和国十市郡)
これだけの記述しかないので、これで考えて見ましょう。一番困惑させられるのは、天香久山のある大和国と、東国の武藏国にある「大麻止乃豆乃天神社」という離れた位置にある神が同一であるとしていることです。率直に考えて、どちらから移動したと考える他ないのですが、どっちが元でしょうか。
色々な論文や意見を総合すると、元は天香久山であるとする考えが多い様です。当時としても人の流れは西から東が基本なので、そうした論考が多いのでしょう。しかしこれには難点があって、「元名 大麻等乃知神(おおまとのつのかみ)」という、他ならぬ延喜式神名帳の記述を無視することになってしまいます。
もう一点、名前の性質を考慮して見ましょう。大麻等乃知神は、現在の稲城市の「大麻止乃豆乃天神社」の古地名「おおまと」を表していると考えられます(おおまとは大きな湾や入江を指しています)。近畿から来た神が他所の土地の名を名乗るのは考えにくいと思います。
さらに櫛真智のお名前を考えると、これは神様本人の性質を表している名前です。これは私見ですが、櫛真智命のお名前は、人生の後期、占いの神として評価が定まってからか、おそらくは後世の人によって定められたのではないでしょうか。神様本体の性質を良く表しているからです。
このような考えから、当稿の一連の考察では、櫛真智命の出発点は武藏国であり、そこから大和国に向かったのだ!として、以後のお話を続けたいと思います。
(続きます・・・次回は大和国へのルートについて考えます)
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